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中央図書館所蔵書画類

 

島田藍泉書

  島田藍泉書
 
  縦:92センチメートル 横:29センチメートル 紙本
「年少新抽□御臣才名旧向□林振誰知述職□
 行士多是風流授□人□□花開留五馬関山
 霞但夏三春看君従 駕兼探勝幾処裁詩
 応 最頻 送 牧伯雍従 駕東都 藍泉役観拝」
 
作者:島田藍泉  宝暦元年(1751)〜文化6年(1809)
 徳山の修験道寺院教学院の住職にして、藩校鳴鳳館の第二代教授。名は観(または浄観)、字は道甫、通称右京、藍泉・興山はその号である。ちなみに藍泉という号は、彼の居た教学院から程遠からぬ清流よりとったという。なお本姓は島田氏であるが、役小角の法系をつぎ、行者としては役(えん)を姓とした。

 教学院は徳山藩お抱えの寺院であったため、藩主の長寿無窮と藩内の五穀豊穣を祈願するために、毎年大峯入山を果たさねばならなかった。そのための経済的負担や精神的重圧が藍泉の生涯に終始のしかかっていた。しかしまた、大峯入山のための旅は、藍泉にとって京阪の文人との交流を深める機会ともなった。儒者広瀬淡窓から「修験者にして文人、藍泉一人なり」とまで評されるほどになったわけである。

 安永5年(26歳)、上洛した藍泉は祇園社の南に池大雅を訪ねる。この老画伯は修験行者藍泉を快く招き入れ歓談のひと時をもったのであった。その翌年、学問上多大な影響を受けることになる筑前の学者亀井南冥と出合う。

 藍泉は徂徠学派の流れをくむ文人であった。安永8年(29歳)、徂徠学についての書籍『大道公論』を著述している。

 天明5年(35歳)、藩校鳴鳳館が開設されると本城紫巌とともに学政にあたり、紫巌没後は学頭となった。文化5年、『徳府学範』を草し学館の充実をはかったが、翌6年、57歳で没した。詩文集その他多くの草稿類が文人としての彼の旺盛な筆力を物語るかのように残されている。


 
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