周南市立図書館

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浅見巣雲 一行書

縦:135センチメートル 横:28センチメートル 紙本
「搓萬斯年不遐有佳 癸丑之試筆巣雲仙」

作者:浅見巣雲  天明5年(1785)~安政5年(1858)

 名は正敏、字は子慎、通称又兵衛、巣雲はその号である。

 浅見氏は、寛永年間、初代無入が能書をもって徳山藩江戸屋敷の右筆として召し出され、その子正信(巣雲の祖父の祖父)のとき初めて徳山に移り住んだ。

 巣雲は幼い頃から才知に富み、昌平黌教授の安積艮斎(1791~1860)の文に成る巣雲の墓誌には、「翁生而英頴。七歳作〔ハッカ〕字。」とある。(〔ハッカ〕とは篆刻に用いる書体のひとつ)
 長じて本城紫巌、役藍泉に師事。また、来遊した備前の書家武元登々庵(1767~1818)からも学んだが、今ひとつ釈然としないものがあった。
 そこで後巣雲は長崎に行き清人について筆跡を研究した。
 一方、小野道風、空海の筆意をも学び、ようやくその神髄を悟るに至った。
 また儒学・詩文・剣術・槍術・茶道・音律すべてに精通していたと伝えられている。
 仕官すること50余年、勤めに励みしばしば賞せられた。安政5年2月29日病没。74歳。

 この書は嘉永6年(1853)、巣雲68歳の書初めである。

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