|
江戸時代初期を代表する詩人。名は凹(おう)。丈山は字。六六山人、四明山人、東渓その他別号が極めて多い。
代々徳川氏に仕える三河武士の家に生まれたが、家康に従って出役した大坂夏の陣で、戦功があったにもかかわらず、軍令をおかしての抜け駆けをとがめられ家康の元を離れた。
その後10年余、広島浅野家に仕えたが寛永13年(1636)京へ帰った。
寛永18年(1641)洛北一乗寺に詩仙堂を築いて隠棲し、林羅山(1583〜1657)、元政上人(1623〜1668)ら当時著名な文化人と交流し、詩文に遊ぶ閑雅な日々を送った。
寛文12年(1672)5月23日、90歳でその生涯を閉じる。
この丈山の遺墨は、かつて児玉源太郎(1852〜1906)が所有していたものであるが、源太郎の形見分けとして本城氏に渡り、その後本城氏から当館へ寄贈されたものである。
「文行忠信」とは孔子の教育方針における4つの重点で、文は読書(学問)、行は実践、忠は誠実、信は信義。
なお丈山の詩は『履醤集』(ふしょうしゅう 寛文11年刊)、および『新編履醤集』・『新編履醤続集』(以上延宝4年刊)に収められている。
|