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中央図書館所蔵書画類

 

毛利秀就書状

  毛利秀就書状
 
  縦:31.2センチメートル 横:47.5センチメートル 紙本
「 改年之御慶珎(珍)重存候仍五明一本進之候幾久く存候尚永日重畳祝儀可申承候恐々謹言
正月朔日 秀就(花押)毛利日向守殿 まいる申給へ」
 
作者:毛利秀就 文禄4年(1595)〜慶安4年(1651)
 文禄4年(1595)10月18日、安芸国広島城で毛利輝元の長男として生まれた。幼名は松寿丸。5歳の時、豊臣秀頼に謁見し一字を賜って秀就と称した。

 関ヶ原の戦い後の慶長5年(1600)10月、毛利氏は周防長門両国を家康から改めて受領、輝元は隠居となった。そのため、秀就が6歳で家督を相続し長州藩初代藩主となった。しかし藩政は、秀就が幼少であったため、なお輝元が代わって行った。
 同6年(1601)秀就は江戸に下向し家康に謁見、同8年幕府より江戸桜田の邸地を受領し、新邸に移る。さらにこの年、家康の孫の結城秀康の娘と婚約し同13年結婚、後将軍秀忠から松平氏の称号を受け長門守を称した。同16年12月、初めて江戸より帰国し萩城(同13年竣工)に入る。
 大坂の陣には幕府に従って参陣。
 元和3年(1617)、将軍徳川秀忠から36万9千石余の領知目録を受け、慶安3年(1650)、防長両国のうち支藩を除く全領内を区画して、18宰判を設置し地方行政の基礎を築いた。同4年2月24日、萩城で死没。57歳。墓は萩市内大照院毛利家墓所にある。

 この書簡は長州(萩)藩主秀就が毛利日向守にあてたものであるが、日向守とは徳山藩初代藩主就隆で、秀就の実弟である。日付けは「正月朔日」、つまり元旦。年が改まったことを寿ぎ、五明(扇子)を一本進呈することが記されている。


 
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