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中央図書館所蔵書画類

 

毛利元次書

  毛利元次書
 
  縦:59.0センチメートル 横:31.0センチメートル 紙本
「迎 清曉松間喝道聲 元次書 (印) 徳山 元次」
 
作者:毛利元次  寛文7年(1667)〜享保4年(1719) 
 徳山三代藩主。号を徳山といい、寛文7年(1667)徳山藩祖就隆の子として京都で生まれた。

 幼名を亀之助と称し母方の地京都にいたが、11歳の時迎えられて徳山に移った。
 元禄3年(1690)、二代元賢の没後そのあとを継ぎ、名を元次と改め飛騨守に任官した。時に元次24歳であった。

 元次は就隆以来の制度を整え、徳山の本町筋の町名を定めるなど城下町の発展に尽力した。
 また深く学問を好み、居館の後ろに棲息堂と称する読書の屋を建て、学者や文人を会して唱和論談した。
 さらにこの堂の庭の東に書庫を建て、書籍を三万余巻蔵したという。その蔵書の数々は、『書目録』(宝永2年成立 当館所蔵)等に記されている。

 この元次時代は、『徳山名勝』をはじめ、元次が伊藤東涯に命じて校訂・訓点せしめて出版した『新刊塩鉄論』、家臣亀谷小兵衛に補助金を与えて出版させた『授時暦諺解』など幾多の出版物があり、徳山にようやく文化の花が開いた時代である。

 元次の治績は着々とあがったが、正徳5年(1715)、久米村万役山事件に端を発し萩の宗藩と事を構え、翌年(1716)幕府の命によって徳山藩は改易、元次は出羽国新庄藩にお預けとなった。
 しかし遺臣の奔走により、享保4年(1719)、徳山藩は再興。元次も許されて江戸の屋敷に帰ったが、その年11月19日、にわかに病んでその波瀾に富んだ一生を終わった。


 
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