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郷土資料ギャラリー
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中央図書館所蔵書画類
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朝倉南陵 大竹之図、人物図
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大竹之図
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縦:132センチメートル 横:55センチメートル 紙本 |
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人物図
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縦:105センチメートル 横:55センチメートル 紙本 |
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作者:朝倉南陵(光世) 宝暦6年(1756)〜天保14年(1843)
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宝暦6年12月8日、徳山藩浪人阿武六郎左衛門晴俊の長男として生まれる。喜代槌、銀之丞、のち湖内と称した。
明和4年(1767)12歳の時、代々絵師として徳山毛利に仕えた朝倉家の養子となり、家督を相続。天明5年(1785)30歳で禄高25石となり、文政8年(1825)には永代中小姓格となった。
天保2年(1831)、隠居したが引き続き御殿への出入りを許され、毎年銀2枚(のち3枚)を藩主より賜わり優遇された。同14年(1843)9月、藩主の居間での杖の使用をも許されたが、その年11月、88歳で亡くなった。
画道は、17歳の時初めて萩の雲谷に赴いて稽古し、19歳で雲谷等徴・同等竺に師事し、等遠のち等圭という号を受けた。
また漢画を江戸の画家岩井江雲に学び、許されて江雪とも号した。
南陵の号を用いたのは、文化7年(1810)55歳の時からである。
作品としては山水、花鳥のほか遠石・花岡八幡宮の祭礼絵馬、歴代藩主の肖像などを残している。
なお、幕府の命で伊能忠敬が中国地方の地図づくりをした際、南陵は領内の地図作成に努め、10数年間これに没頭した。
その他、軍船や城攻めの絵など戦略に必要なものも数多く描いている。
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