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徳山藩士本城紫巌の嗣子で名は訥、字は伯毅、通称太仲、太華と号す。安永4年4月23日に生まれた。寛政12年(1800)26歳の時、肥後(熊本)の高木紫溟に学び、翌年は筑前の亀井南冥に学んだ。ともにその塾長となり2年間を過ごした。
享和2年(1802)徳山に帰り、翌3年父桓が没したのでその後を継いだ。鳴鳳館の句読師より訓導を経て助教に進み、天保3年(1832)世子広篤(後の元蕃)の侍講となった。天保8年の元蕃襲封後はその信任が厚く大いに優遇された。鳴鳳館においては四代教授となる。学館に奉ずること40余年の長きにわたり、教学の刷新に力を注ぎ、後進を指導し、門下の諸生から敬愛された。弘化元年(1844)10月29日没。70歳。
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