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南宗画家、長崎春徳寺の僧。俗姓日高氏。幼い時から絵画を好み、初め石崎融思に学び、のち来舶した江稼圃に師事した。稼圃は清国の人で、長崎に渡来するや我が国の南宗画に多大な影響を及ぼした人物である。その稼圃の衣鉢を継ぐ者の中で最も勝れていたのが鉄翁である。
山水・花卉に長じ、殊に四君子(蘭・竹・梅・菊)、中でも墨蘭を描くと並ぶ者がいなかったという。しかし、興が湧かなければ決して絵を描こうとはせず、名利や権力に背を向けた天真爛漫なその生き方について、数々の奇行談が伝えられている。
ある時、久留米藩士某が鉄翁の門をたたき是が非でも画を学ばんとしたが、再三の懇請にもかかわらず断られた。非常に腹をたてた某が、まさに鉄翁を斬ろうとした時に、「激怒して余を刃せんと欲せば余敢えて命を惜しまず。首を延べて其の為す所に任せむ。余が頭は得べし余が画蘭は得べからず」と、自若たる態度で応じた話は有名である。
晩年は雲静庵に隠退し訪客を謝絶して文墨三昧にふけり、81歳で没した。
「無欲にして足ることを知る。」…鉄翁の言葉である。
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