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明治期の南画家。直入は、豊後竹田の庄屋の家に生まれ、幼名は伝太、のち癡と改めた。幼い頃から画才を発揮し、9歳で南画家として有名な田能村竹田(1777〜1835)に師事し、後に養子となる。しかし一説に「故あって竹田に破門され、竹田の没後、自ら養子と称した」とも伝えられる。
26歳のとき大阪に行き、大塩平八郎(1793〜1837)に経史を、また書法や禅学もそれぞれ師について広く学んだ。
明治初年は京都に住み、京都府立画学校の設立に尽力し、初代校長となる。画学校辞任後は独立して南宗画学校を開き、29年には日本南画協会創立に参加した。
老来ますます元気で筆力は衰えず、明治南画壇の長老として活躍したが、明治40年1月21日、94歳でその生涯を閉じた。
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