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明治35年(1902)12月、源太郎は当時の本丁にあった旧宅「藤の園」を記念するために、私立児玉文庫の設立を文部大臣に申請した。
設立資金は、同30年、英照皇太后(孝明天皇の皇后)崩御の折、陸軍次官であった源太郎が、葬儀の重任を果たしたかどで皇室より賜った金一封に、若干の金子を加えたものである。建築費は総額1,200余円、文庫の建坪は、総坪数30坪であった。
同36年(1903)1月23日、開庫式が行われた。設立者児玉源太郎が臨席し文庫設立の趣旨と由来について演説している。同年1月25日の防長新聞にその模様が掲載されている。
この文庫の開設は、イギリスの日英新聞「ゼ・アングロ・ジャパニーズ・ガゼット」でも紹介された。文庫の開設から間のない同年3月に「日本の公共図書館 児玉文庫」という見出しであった。
その内容は、源太郎の生誕地徳山が詳細に記述され、文庫が建設された場所はかつての屋敷を買い戻したものであること、資金は皇室から授かったものに自分のお金を加えたこと、また本の取り合わせがうまく選択されていることなどが、源太郎夫妻の肖像写真入りで紹介されている。
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