|
明治36年の開設以来、文庫は整備され拡張されていった。
蔵書については、明治38年、7,915冊(雑誌は除く)であったが、その後年々充実し、明治末年は18,726冊に達し、さらに大正末年には28,005冊、昭和17年3月末には43,088冊に達した。
またこの間、巡回書庫(文庫)、館外貸出、児童へのサービス、展覧会、年次報告書の発行など、様々な図書館活動を展開し、社会教育施設として、郷土の文化の発展に大いに貢献した。
しかし児玉文庫は、昭和20年(1945)7月26日の空襲によりすっかり焼失してしまった。
現在、この文庫の存在した場所には、児玉文庫開設百周年記念の碑が建てられ、源太郎の産湯の井戸が保存されている。
なお現存する文庫ゆかりの品は、焼け跡から出て来た「児玉文庫」の門標と、山間部の方が借りておられ、戦災焼失を免れた図書6冊と貸出箱のみである。この図書には「児玉文庫」の蔵書印が鮮やかに残されている。
この文庫を惜しむ声はやがて市立図書館建設へと繋がっていった。
|